1971年(0歳)
4月3日、群馬県安中市に生まれる。

1975年(4歳)

心室中隔欠損症のため慶應病院に入院、手術を受ける。簡単にいうと心臓のまんなかの壁に穴が開いている状態で、かのブラックジャックも治療できなかったという重病でしたが、慶應の先生方はちゃんと直してくださいました。
その後数回に渡って入院。病室のベッドの上では本を読むのが唯一の楽しみで、いわゆる本好きの子供に育つ。
当時お世話になった方々とのつながりで、以後たまに身体障害児の為のボランティア活動などをやる事になる。
1977年(5歳)
3歳年上の姉にくっついてよく小学校へ遊びに行き、授業を一緒に受ける。漢字テストが好きだった。 (ほんとは給食の揚げパンをもらうのが目当てだったらしい?)
1977年(6歳)
幼稚園に入園。まだ少し病弱だったのを言い訳に、さぼって家で本ばかり読んでいた。
この夏、群馬県を台風が襲った際、担任の先生が「台風の目はとっても激しい嵐だから、みんなはおうちの中にいましょうね〜」と言ったのに対し大きな不信感を抱く。以後、私の教師不信の歴史が始まったのでした。
1978年(7歳)
小学校に入学。例によって休む日が多く、家で一人で勉強したり絵を描いたりしている。
198?年(10〜12歳くらい)
この頃からパソコンに興味を持ち始める。事あるごとに隣町のデパートまで赴き、電気製品売場に並んだPC8001やMZ80BにBASICのプログラムを打ち込んでは何時間もいじっている。
ちょうど姉もパソコンを欲しがっていたので、人気機種だった富士通FM-8を買ってもらう。 カラーモニタ、ドットインパクトプリンタ、5インチFDドライブもつけて70万くらいでした。 お金持ちでもないのにローンでやりくりしてくれたお母さんありがとう。 でも近所にフロッピーディスクを売っている店がなかったので、普段使うデータはカセットテープに保存してました。これがまたすぐ伸びちゃうのよね。
学校にはテストの時だけ行ったりしていたが、成績はかなり良かったので周囲もあまり強く文句言わなかったです。 この頃すでに義務教育というものを信用していなかった。
1984年(13歳)
中学校に入学。やっぱり休みがち。
とにかく文章を書くのが好きで、小説もどきを書きまくっている。青年の主張コンクールみたいなやつで校内ベストテンに入る。 投稿にも凝っていて、掲載料がもらえる雑誌に文章やイラストを送りまくって小銭を稼いでいた。
1985年(14歳)
この時期はほとんど学校に行ってませんでした。 先生には「授業が簡単すぎてつまりません」とか言ってうちで漫画とか描いてたなあ。嫌な生徒ですね。今にしてみると絵に描いたような中2病。
たしかこの頃から知り合いのスーパーの広告とか作っておこづかいをもらっていたように思う。
1986年(15歳)
70年代ものの洋楽にはまる。「レコードマップ」で近県の中古盤屋を虱潰しに調べ、お金が貯まるたびにチビチビと買い出しに行く。ギターもちょっと弾くようになる。
ポリスの「シンクロニシティ」の歌詞に感化され、詩をたくさん書き溜める。イメージだけは無尽蔵に湧くのだが、いかんせん人生経験不足のためシュールな内容に終始する事が多かった。
1987年(16歳)
いいかげん出席日数も足りないし、近所に素敵な高校もなかったので自力で大学検定を取得する事にする。18歳までに大学入学資格を取る、という条件で3年間ブラブラしながら独学にて勉強。
上野駅前で共同募金の呼びかけ隊をやったり、大阪までVanHalenの来日公演を見に行ったりと、好き勝手に暮らしていた。
1989年(18歳)
10月、無事に大学検定の全科目に合格する。
1990年(19歳)
前橋市の某デザイン専門学校に入学。6月から学生寮に入って暮らす。門限10時。
おかげさまで2年連続皆勤賞をもらう。
温泉地や駅前で似顔絵を書いたり、県美術展の審査や設営を手伝ったり、テレビ局で使うフリップを書いたりという日雇いバイトを重ねる。この頃から様々な企画展などに作品を出展するようになる。
1992年(21歳)
2年間の専門課程を終えたが、新たに学内に研究課程ができてMacも導入されるという話を聞き、もう一年学ぶ事にする。
ところがどっこい、実際にMacがやって来たのは12月末。それまでの9カ月間、研究科生徒(総勢5名)は黙々と個人作品をこしらえたりバイトをしたりしていたのでした。
1993年(22歳)
年が明けてやっとMacが使えるようになるも、漢字TALK7が出たばかりの頃でまだ対応ソフトが少なく、爆弾とフリーズにまみれた日々を送る。もちろん指導してくれる講師なんていない。独学だ独学だ。 ちなみに機種はIIvxが5台、Pixel-DioとPS-IPU付きでしたが本体メモリは8MBでした(泣)。
3月、研究科卒業。記念に研究科生徒主催のグループ展を前橋TEPCOギャラリーで開催。

しかしちょうどバブルの崩壊後で、就職戦線はかつてない氷河期に突入・・・。とりあえず群馬にいたら明るい将来はないと考えて、6月から都内のアパートに移り住み、就職情報誌を読み漁ってはめぼしいデザイン会社の面接に行っていた。

8月、(株)エムツーカンパニーに入社。職歴にも書きましたが、色々いい仕事させてもらいました。
ちょうど会社でDTPを導入し始めた時期だったため、情報源も教えてくれる人もなく手探りで修羅場をくぐりぬける日々。ここでかなり経験値積みました。

パソコン通信に手を染め出したのがこの頃。最初はDTP導入についてわからない事を調べるために始めたのですが、実生活では忙しくて友達に会ったり遊んだりする暇がほとんどなかったので、ネット社会こそが唯一プライベートな遊び場という感じでしたなあ。NiftyやTeleFinder系ネットにはいまいち馴染めませんでしたが、FirstClass系BBSには首までどっぷり浸かり、某企業が運営していたBBSを有志で譲り受けたりとか色々ありました。


1994年(23歳)
10月、専門学校時代の同窓生達と前橋TEPCOギャラリーでグループ展開催。
1995年(24歳)
9月末、会社を辞職。個人でのデザイン関連業務を細々と始める。この頃からインターネットに接続。
11月、高崎駅ビルギャラリーでグループ展開催。
1996年(25歳)
2月、埼玉県某市に引っ越す。ホームページ制作の仕事がメインになって来る。
1997年(26歳)
3月、高崎駅ビルギャラリーでグループ展開催。
1998年(27歳)
1月、独自ドメイン[ simz.com ] 取得。
2月、国内最大のデジタルアーティストグループ「ディジタル・イメージ」に参加。
4月、ディジタル・イメージ東京展(於・銀座ワシントンギャラリー)に出品。
8月、ディジタル・イメージ大阪展(於・大阪府立現代美術センター)に出品。
今後も展示会や作品集出版に向けて活動を続ける予定です。
To be continued.........





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